D的日記  ⑲-2006年11月號
菊地秀行

這次同樣來談談布萊伯利。
據說目前在科幻小說迷和作家們之間,已聽不到他的名字。的確,他的故事本身並非有多麼與眾不同,而且他是一位在華麗的文體上發揮看家本領的作家,所以隨著年齡增長,以小說內容來支撐文體的靈感逐漸枯竭,也是沒辦法的事。
此外,就小說而言,他的作品尚未達到文學的境界,而且也欠缺作為正統科幻小說的科學素養,之所以離新時代愈來愈遠,也可說是無可奈何的結果。
然而,在將近五十年前,正值黎明期的日本科幻小說界卻非常需要像他這樣的作家。我認為布萊伯利並非是為美國而生,而是為了促進日科幻小說界的健全發展而生。若光只有海萊因(Robert Anson Heinlein)、艾西莫夫(Isaac Asimov)這類的作家,對偏好情境的日本讀者而言,必定會有一種隔閡感,而太接近文學卻又無法得到廣大讀者的支持,日本的科幻小說或許就是在這種畸形的狀態下長成。
布萊伯利的小說不需要科學知識,而且具有像詩這一類文體所醞釀出的「文學味」,博得科幻小說迷的喝采。被大雪封鎖的某個美國鄉村,突然有個短暫的夏天到來。那是附近的基地發射火箭產生的發射熱能所造成──以這種構思來寫科幻小說的作家,唯獨布萊伯利一人。至今同樣沒有第二個布萊伯利。因為他而執筆的日本科幻小說作家應該不少。我便是其中之一。

D的日記  ⑲-2006年11月號
菊地秀行

今回もブラッドベリの話です。
現在では、SFファンや作家たちの間でも、彼の名前は聞かれなくなったと云います。確かに、ストーリー自体はそれほどユニークなものではなく、きらびやかな文体にこそ本領を発揮した作家ですから、年齢とともに小説から文体を支えるイメージが枯渇していったのは仕方がありません。
また小説としても、文学にまで達してはおらず、本格SFとしての科学的素養にも乏しいとなれば、新しい時代から遠ざかっていくのもやむをえないと云えるでしょう。
ですが、五十年近く前、黎明期の日本SFには、彼のような作家がどうしても必要でした。ブラッドベリはアメリカではなく、日本SFの健やかなる成長のために生まれてきたのではないかと私には思えます。ハインラインやアシモフのような作家だけでは、情緒過多を好む日本の読者には、どこかしっくり来ないものがあったに違いありませんし、あまりに文学に近づいても広範な読者の支持は得られず、日本SFは、どこかいびつな形のまま成年に達していたかもしれません。
ブラッドベリの、科学知識を必要とせず、詩のような文章文体がかもし出す”文学味”を備えた小説は、日本のSFファンに大喝采で迎えられました。雪に閉ざされたアメリカの田舎町に突然、ひと時の夏が訪れる。それは、近くの基地から打ち上げられたロケットの発射熱によるものだった―こんなイメージでSFを描く作家はブラッドベリ以外にいませんでした。今もおりません。彼によって筆をとった日本のSF作家は数多いはずです。私もその一人でした。



D的日記  2006年12月號

刊登時間約為12月15日,敬請期待。

D的日記  ⑱-2006年10月號
菊地秀行

我為美國作家雷.布萊伯利(RAY BRADBURY)的名作《憂鬱的妙藥(A MEDICINE FOR MELANCHOLY)》寫評論解說。
每個人應該都有一生中最喜愛的作家。而他正是我最喜愛的作家。高中時,我曾挑選鄉下書店大量進貨的早川科幻系列――看似很有趣的標題,大肆購買,結果最後買到的,便是他的《火星年代記》。很純樸吧?
我在看過這本書之後,便立志當一名科幻作家。必須充分發揮科學知識的科幻小說,我寫不來,但若是像布萊伯利那樣的科幻小說,我倒認為自己有這個能耐,也很想一試(事後證明這是嚴重的錯誤)。
火星人入侵、存在於地球上的恐龍世界、以潛水艇展開海底旅行、在木製的衛星上蠢動的奇怪生物……像這類的科幻小說繁不可數,但在崩毀的火星人都市中央,口中輕輕哼唱著送葬詩歌的地球人……像描寫這種感人場景的科幻小說,卻是前所未見。現在應該也尚未問世。
從那之後,已過了四十數載,我沒成為科幻作家,也寫不出像布萊伯利那樣的作品,但雷.布萊伯利是讓我成為作家的原動力,此乃永遠不變的事實。
我想下次再多談一些關於他的事。

D的日記  ⑱-2006年10月號
菊地秀行

 アメリカの作家―レイ・ブラッドベリ(RAY BRADBURY)の傑作『メランコリイの妙薬(A MEDICINE FOR MELANCHOLY)』に解説を書きました。
誰にでも生涯を通して好きな作家がいるはずです。私はこの人でした。高校生のとき、田舎の書店に大量に入荷された早川SFシリーズ――面白そうなタイトルを選んで買いまくった結果、彼の『火星年代記』は、最後に手を出すことになりました。地味そうでしょ。
私はこの本を読んでSF作家になりたいと思いました。科学的知識を駆使するSFは無理ですが、ブラッドベリのようなSFなら書けるし、書きたいと思ったのです(大間違いでしたが)。
火星人の侵略、地上に存在する恐竜世界、潜水艦による海底旅行、木製の衛星に蠢く怪生物・・・こういうSFはたくさんありましたが、滅びた火星人の都市の中央で、静かに葬送の詩を口ずさむ地球人・・・こんなシーンを描いて感動させるSFはありませんでした。今もないだろうと思います。
それから40年以上の歳月が流れ、私はSF作家にもならず、ブラッドベリのような作品も書けませんでしたが、私を作家にしたのが、レイ・ブラッドベリであることに変わりありません。
次回も彼について書きたいと思っています。


D的日記  ⑰-2006年9月號
菊地秀行

奇幻基地的各位讀者好
在此送上D的日記17。
秋涼時節即將來到,但東京的夏日仍在頑強抵抗。聽說「D」的網聚相當成功,可喜可賀。我目前正為手機連載和新作──日本的「“D」執筆。不知道哪一個會先登場(笑),敬請期待。希望下次的網聚,能和各位台灣讀者見面。

D的日記の⑰を、お送りします。
そろそろ涼しくなる時期ですが、東京では夏がまだ、悪あがきしています。”D”のオフ会、大成功とのこと、おめでとうございます。私は、目下携帯連載と書き下ろし―日本の”D”を執筆しています。どちらが先に出るか(笑)、お楽しみに。それでは次のオフ会で台湾の皆さんとお会いできることを祈っております。l


※※※

我從以前便一直是偏瘦的體格,所以非常憧憬肌肉虯結的肉體。
其實只要練健身就行了,但我在看過照片之後隨即死了這條心,因為我就算練上一百年,也沒辦法擁有那種體格。而且,過多的肌肉不合我的喜好。
於是我把目標轉為職業摔角,但是從骨架的問題來看,這也是不可能實現的夢想。於是我只好以這身普通的體格湊和著用了。 
不過,我有兩個嚴重的缺點,儘管一再地挑戰,但往往都只有「三分鐘熱度」。雖然手臂略為變粗,腹肌出現幾條像線條的紋路、胸膛也變得略為厚實,但最後還是就此打住。經常想著要「好好拚」而投入其中,但卻都沒能持之以恆──沒錯,這就是我最嚴重的第一個缺點。最長持續兩個月。這樣大家應該就能明白我所謂「三分鐘熱度」的意思了。
在寫稿的此刻,正是第四天。四天前,我突然下定決心,掄起3.5公斤重的鐵棍,就像拿著劍道裡的竹劍一樣,開始拚命猛揮。一天二百下……只要持續下去,很快便能練出一身肌肉。但昨天我嚴重感覺到肌肉痠痛,目前已停止練習。
「一下定決心,便非常極端」──這是我的第二個缺點。

D的日記  ⑰-2006年9月號
菊地秀行

私は昔から痩せっぽちだったので、筋肉隆々のボディへの憧れがかなり強い男です。
じゃあ、ボディビルでもやればいいのですが、ああなるのは百年かけても無理だと、写真を見てすぐ諦めました。それに、やっぱり過剰は趣味に合いません。
で、目指すはプロレスラー・・・は、骨格の問題からして不可能。まあそこそこの体格で我慢することにしました。
ところが、私には二つの大欠点があり、何度チャレンジしても、「ちょっぴり」止まりなのです。腕が少し太くなり、腹筋に糸みたいなくびれが走り、胸もそれなりに厚くなるのですが、そこまで。割合しょっちゅう『やるぞ』と思って取り組むのですが長続きしません―そう、これこそが第一の、最大の欠点なのです。長くてふた月。ちょっぴり、の意味がお分かりいただけたと思います。
この原稿を書いている今日は四日目です。四日前、私はふと思い立ち、3・5キロの鉄棒を、剣道の竹刀のように振り回し始めました。一日二百回・・・これくらいやれば、すぐ筋肉がつく。しかし、昨日、猛烈な筋肉痛に襲われ、目下中断しています。
「思い立ったら極端に」―これが第二の欠点なのでした。


D的日記  ⑯-2006年8月號
菊地秀行

在寫這分稿子的前一天,一位許久以前退休的編輯,從橫濱來這裡找我,於是我便和對方一同用餐。是位女性。
她是個很有意思的人,會稱呼自己負責的作家為 “三流作家”的編輯,世上就只有她了。
有一次我關在飯店裡寫稿時,她跑來取稿,也跟著留下來過夜。應該是截稿日期迫在眉睫的緣故。
她遠比我來得有體力,但由於生活坐息正常,所以當我深夜在振筆疾書時,她卻在我身後靠著沙發入睡了。我覺得這樣也好,不會感到有事掛心,所以就默默繼續我的工作,這時,突然挨她一頓臭罵。當時的情景,至今仍歷歷在目。
「我不記得你這樣的三流作家對我說過那種話!」
我也不記得自己說過些什麼,而且她說話的語調清晰無比,於是我急忙轉頭,這才發現她正香甜地呼呼大睡。
我或許真是個三流作家,但在我趕完稿之前說這種話,似乎不太恰當吧。我想她應該是說夢話,所以隔天向她詢問,結果她回答道:「昨天我和其他作家起了些爭執」,一臉難為情的模樣。她是位剛強的女性,想必是在睡覺時,不小心發洩出心中的悶氣。關於她的事,下次有機會再談。

D的日記  ⑯-2006年8月號
菊地秀行

 この原稿を書いている前日、もう大分前に定年退職した元編集者が、横浜から出てくるというので、食事をすることになりました。女性です。
実に面白い人で、仮にも自分が担当している作家を“三流作家”と呼んだのは、この人しかいません。
私がホテルに篭って執筆中、泊り込みで原稿を取りに来ました。締め切りが迫っていたのでしょう。
私よりはるかにスタミナのある人でしたが、生活時間帯が普通なため、深夜、私がペンを走らせている後ろで、ソファにもたれて眠ってしまったのです。こちらもそのほうが気にならなくていいので、黙々と仕事を続けていると、いきなり、こう罵られました。今でもはっきり覚えています。
「あんたみたいな三流作家に、そんなこと言われる覚えはないわよ!」
私も何か言った覚えはないし、あまりにも明晰な口調だったので、あわてて振り向くと、当人は快い寝息を立てています。
確かに三流作家かもしれませんが、原稿を書き上げる前に、それ言っちゃまずいでしょう。多分、寝言だと思い、翌日訊いてみると、「前日、別の作家とトラぶったのよ」と、バツが悪そうでした。気の強い女性ですから、眠っているうちに、我慢を詰めたロッカーの鍵が外れてしまったに違いありません。ま、この人に関しては、またお話します。


D的日記  ⑮-2006年7月號
菊地秀行

我現在正在可怕的狀況下寫著這份稿子。
一直開著的電視中,傳來女播報員的聲音。
「北韓發射了第七枚飛彈。」
「咦!?」
我不禁叫出聲來。我今天沒睡飽,所以就算有個殺人狂持刀朝我逼近,我可能也會很客氣地問他:「啊,請問您是哪位?」先前儘管得知發射了六枚飛彈,但在知道它們全都落入海裡後,便在心裡想「什麼嘛,沒事、沒事」,一點也不放在心上,但現在一聽到是「剛剛」才發射,卻不禁發出「哎呀?」的一聲驚呼,一顆心忐忑不安。上次好像只有一枚……這次卻是七枚。在我寫稿的同時,飛彈正劃空而過。目標是哪裡?雖然確定不是我家,但恐懼還是無法消除。
老實說,發生在美國的「911恐怖事件」、阿富汗戰爭、以及自衛隊派兵伊拉克,都是離我相當遙遠的事。但現在這時候,這七枚飛彈讓我明白,自己也身處在戰局中。應該說是有特別的意義吧。

D的日記  ⑮-2006年7月號
菊地秀行

私は、今、この原稿を恐るべき状況の中で書いています。
かけっ放しのTVで、女性キャスターが、
「北朝鮮が七発目のミサイルを発射いたしました。」
「えーっ!?」
と、叫んだのは私です。今日は寝不足で、ナイフを持った殺人鬼が目の前に迫っても、
「おっ、どちらさま?」
と、優しく訊いてしまいそうな具合でしたので、それまでにミサイルが六発も発射されたと知っても、みな海に落ちたとわかると、
「なんでえ、平気平気」
と、気にもならなかったのですが、さすがに、「今」発射されましたといわれると、
「あれま?」
と、不安になりました。確か前回は一発だけでした・・・それが七発。これを書いている最中も、ミサイルは空を飛んでいます。  目標は何処か? 我が家でないのは確かですが、恐怖は消えません。
正直、アメリカでの“9.11テロ”も、アフガン戦争も、自衛隊のイラク派遣も、私には遠い物語でした。それが今日―たった今、自分も戦時下にいるのだと、七発のミサイルが思い知らせてくれました。意義があったというべきでしょうか。


D的日記  ⑭-2006年6月號
菊地秀行

台灣的各位朋友,大家好。日本終於進入了梅雨季,成為陰雨綿綿的季節。往常都是潮濕的天氣,但今年格外寒冷,我一不小心,還兩度染感冒著涼,大量服藥後,總算不致於躺在床上昏睡。
約莫三天前,有個認識的人舉辦了一場出版記念派對。雙方的關係還稱不上朋友,所以一般就算對方邀請,我也不會出席,但由於當事人直接來電邀約,所以我也列名在發起人當中,出席那場派對。這名邀我參加的女性作家──冰川玲子,寫的是沒什麼趣味的奇幻小說;如果能摒除那不自然的裝模作樣,倒是一場很開心的派對。
這種派對的樂趣,便是可以見到睽違許久的朋友,很馬上便發現兩名友人。
I野氏和S島氏,兩人都是作家,事實上,I野氏喜歡S島氏。看他們兩人聊得如此幸福洋溢,我立刻插進他們的談話中(笑)。
I野氏對此目瞪口呆,而當我和他聊得正起勁時,S島氏已不知所蹤, I野氏隔著我的肩膀努力找尋她的倩影,但我並未加以理會,仍自顧自地說個不停──I野氏也許是對此事頗為光火,之後他每次打電話給我,總是向我罵道:「惡鬼、惡魔,為什麼當我和男性作家在一起時,你總是一聲不響地從旁邊走過?」
這是為什麼呢??

D的日記  ⑭-2006年6月號
菊地秀行

 台湾の皆さん、こんにちは。日本ではいよいよ梅雨入りです。雨の多い季節になりました。いつもならじめつくのに、今年は寒気が強く、私は油断して二度も風邪を引きかかり、薬の大量投与で何とか寝込まずにいます。
三日ばかり前、知り合いの出版記念パーティーが開かれました。友人というほどでもないので、普通なら招待されても欠席するのですが、当人から直接電話がかかってきたので、発起人に名を連ね、顔を出しました。当の依頼人―ひかわ玲子という面白くもないファンタジーを書いている女性作家です―が、妙に気取っているのを除けば楽しいパーティーでした。
こういう会での愉しみは、ご無沙汰している友人に会えることで、早速、二人見つけました。
I野氏とS島氏―どちらも作家で、実はI野氏はS島氏に❤なのです。実に幸せそうに話しこんでいるので、私は早速、割って入ることにしました(笑)。
唖然とするI野氏に話しこんでいるうちに、S島氏はどこかへ行ってしまい、I野氏は私の肩越しに夢中で彼女を捜し求めるのですが、私はかまわず、話し続け―これが余程、頭にきたのかI野氏は以後、電話をするたびに、鬼だ、悪魔だ、何故男の作家といるときは、  素通りするのですかと、私を罵ります。
何故でしょう??


D的日記  ⑬-2006年5月號
菊地秀行

台灣的讀者朋友們,午安――這個招呼並不正確。這篇日記是五月四日深夜十一點二十分開始寫的,而且是台灣時間。
我利用日本的連續假期,跟友人一家前來台灣。
抵達日期是昨天。今晚則接受奇幻基地工作人員的溫馨款待,甚至收到了禮物,實在令我銘感五內。真的非常感謝各位撥冗前來。由各位負責出版,我跟D都很幸福。
不過,我今天要寫的卻是有點可怕的故事。這是在今晚餐會上提到的真實故事,登場人物是我與某位已婚的女性書迷。
數年前的夏季,記得是在七月中旬。我前往舉行脫口秀的固定場地――新宿的Live House「LOFT/PLUS ONE」。目的是去聽某棒球總教練夫人的脫口秀。
那是一場極度令人惱火的脫口秀,七點的開演拖到七點五十分。已經成為國會議員的職業摔跤手、大牌藝人、前外交部長,以及總教練夫人的先生,邀請的來賓很有看頭,可是毫無內容可言。節目從頭到尾都是在自我吹噓。而且原本預定十一點結束的節目,中途卻突然說,接下來的節目僅限傳媒記者採訪,請一般觀眾退席。氣憤難平的我一看時間,超過九點十分。
於是,故事重點來了。
付錢離開「LOFT」大概是在十五分左右。因為決定去吃燒肉,就進入隔了一段路的燒肉店。這時應該是九點二十五分左右。請各位記住這個時間。
平安無事地用完餐點,接著決定去唱卡拉OK,詢問附近卡拉OK店的服務台,對方表示目前客滿。無奈之餘折回在店門口等待的女性那裡,只見她一臉狐疑地拿著手機看著我。在我開口詢問之前――
「K老師有在我的語音信箱留言嗎?」
那一天也許我有打電話確認時間與地點(我已經忘了),不過我不記得自己有留言。「沒有。」我回答之後――
「可是,有一通留言,是老師的聲音。而且還是剛剛留的。」
「嗄?」
一看她遞給我的手機,留言時間顯示為九點二十七分。
那差不多是我們進入燒肉店的時間。我跟她當然都知道我並沒有打那通電話。可是,有一通留言。
我當然聽了那通留言。
一開始沒有聲音。
「沒問題的。」
然後停頓片刻。
「一定有辦法的。」
接著再停頓相同時間,口氣驟然一變,慌慌張張地說:
「喂,發生什麼事了?!」
電話到這裡就掛斷了。
那是我的聲音。肯定不會錯。所以,該如何解釋呢?
就我個人的感覺,那三句話並非單純在語音信箱留下的訊息。從內容和語氣來判斷,我是在跟某個人說話。理由換言之就是「停頓」。是巧妙截取出來的聲音。總之,從我跟某人的對話中截取我說的三句話,消除對方的回應後留在語音信箱內。
我不記得當天有跟那位女書迷說過類似的對話。以作家與書迷的身分來往近十年,打過的電話不計其數,也可能出自於其中的某一通,不過當天並沒有打;然而,卻有我的語音留言。
讓人在意的是最後一句話。打電話的對象大概出了什麼事。在那之後,我又做了什麼?毫無頭緒,因為我沒有任何記憶。
那麼,如此一來,各位或許會想,那通電話是從哪裡打來的?
這個疑問立刻就真相大白了。但如今回想起來,依然不曉得究竟是怎麼一回事?雖然有來電紀錄,不過我不確定是在卡拉OK店門口注意到那個號碼,還是她事後打電話告訴我的。這種情況多半會先查看來電紀錄,我想應該是當場發現的。不過她的手機跟我的機種不同,無法即刻顯示來電紀錄,再加上她當時倍受驚嚇,也好像是回家後才告訴我的。姑且不管我如何得知,要是先從結論說起的話,來電地點並不是燒肉店前面,而是她家。但是,她先生應該很晚才會回家,而且她自己也不在家。這究竟是怎麼一回事呢?
這個謎團很快就解開了。提前結束工作的先生到家後,在九點二十七分撥了她的手機號碼。根據她的轉述,因為鈴聲一響就立刻轉到語音信箱――您撥的號碼現在收不到訊號或者未開機――他只聽到這裡就掛掉了。驚恐萬分的女性甚至打電話給電話公司調閱通聯紀錄。結果證實在來電答鈴響起的二十秒後進入語音信箱,對方也馬上掛斷。果然跟她先生說的一樣。
然而,在他一言未發地掛斷後,我的聲音卻出現了。完全不知該如何解釋。即使想重新確認留言,因為她已經丟棄那隻手機,故也莫可奈何。我所聽見的是自己過去發出的聲音?抑或是――未來的聲音?
「喂,發生什麼事了?!」
未來能否得知這個答案呢?

D的日記  ⑬-2006年5月號
菊地秀行

台湾のみなさん、こんにちわ ― というのは正確ではありません。このエッセイは、今、五月四日の深夜、二十三時二十分に書き始められたばかりです、台湾時間の。
私は日本の連休を利用して、友人一家と台湾に来ています。
到着したのは昨日。そして、今夜、奇幻基地出版の方たちの温かいおもてなしを受け、お土産まで頂戴して感激に打ち震えています。お忙しい時間を割いてくださり、本当に有難うございました。みなさんのような方に出版していただき、私もDも幸せだと思っています。
それなのに、今日は少し怖いお話を書くことに致します。おもてなしの席で披露した実話で、登場人物は私と私のファンの女性、奥様です。
何年か前の夏、七月の中旬だったと思います。私はいつもトークショーを開いている新宿のライブハウス「ロフトプラス・ワン」を訪れました。ある野球監督夫人のトークショーを聞くためでした。
これが恐ろしく腹立たしいショーで、七時の開演が七時五十分になる、国会議員にもなったプロレスラーや、人気タレント、もと外務大臣、そして、夫人の夫と、ゲストだけは派手なくせに、内容がゼロ。およそくだらない自慢話の連続に終始したのです。しかも、十一時終焉の予定が、途中で、これから先はマスコミ関係者のみの取材になります、一般の方はどうぞお引取りください、と言い出しました。頭にきたので時間を見ると、九時十分過ぎでした。
さて、これからです。
料金を払って「ロフト」を出たのが、たぶん十五分前後。それから焼肉でも食べようということになって、少し離れた店へ入りました。九時二十五分頃でしょう。この時刻を覚えておいてください。
何事もなく食事を終えて、今度はカラオケでもと、近くの店のフロントへ申し込んだところ、目下満室ですと断られました。仕方なく店の入り口で待っている女性のところへ戻ると、彼女、携帯を手に妙な目つきで私を見るのです。何かと訪ねる前に、
「K先生、私の留守電にメッセージを入れて下さいましたか?」
その日は場所や時間の確認のためかけたかもしれません(もう覚えていません)が、留守電に吹き込んだ覚えはない。「いいえ」と答えると、
「でも、入ってるんです、先生の声で。それも、ついさっき」
「え?」
手渡された携帯を見ると、着信時刻が出ていて、九時二十七分。
焼肉屋へ入るかどうかという時刻です。もちろんそんなものをかけていないと私も女性もわかっています。でも、着信アリ。
もちろん、聴いてみました。
まず―少し間をおいて、
「大丈夫ですよ」
また、間をおいて、
「何とかなりますよ」
同じくらい経ってから、がらりと口調が変わって、急いだ感じに、
「もしもし、どうしたんですか!?」
ここで切れました。
私の声でした。間違いありません。さて、どう解釈すべきでしょうか。
私の感じでは、この三つの声は、単に留守電に吹き込まれた伝言ではありません。内容、口調からして相手がいます。その部分が、いわゆる「間」のところでしょう。きれいに抜けているのです。つまり、私と誰かとの会話から、私のしゃべった部分だけ、3箇所が抜き取られ、相手の応答は消されて留守電に入っているのです。
私は、その日、こんな会話をその女性と交わした覚えはありません。作家とファンとしては十年近いお付き合いで、電話で話したことも数限りなくありますから、その中に入っているかも知れませんが、とにかくその日は、かけていない。しかし、電話はかかってきているのです、私からの電話が。
気になるのは、最後の一言です。電話の相手に何がおきたのでしょう。その後、私はどうしたのでしょうか。見当もつきません、記憶が一切ないのですから。
では、と、みなさんは思われるでしょう。その電話はどこからかかってきたのかと。
これは、すぐに判明しました。ただ、どういう状況だったか今になってみると良く分からないのです。着信記録が残っているのですが、その電話番号に気づいたのが、カラオケ屋の入り口だったのか、それとも後で女性からの電話で知ったのか、定かではないのです。こういう場合、まず着信記録を見ますから、その場でだったと思うのですが、女性の携帯が私と同じ機種ではないため着信記録がすぐに読めず、女性も動揺していたせいで、彼女の帰宅後に連絡があったような気もします。どちらにせよ結論を言いますと、かけた場所は焼肉屋の前ではなく、彼女の家からでした。しかし、彼女のご主人は帰りが遅くなるはずで、だからこそ彼女も外出できたのです。いったい、何がどうなっているのでしょう?
この謎はすぐに解けました。仕事を早めに終えたご主人が帰宅し、九時二十七分に女性の携帯に電話をしたのです。彼女が言うには、呼び出し音が鳴ってすぐ留守電のメッセージ  -“この電話は電波が届かない場所にいるか電源が入っていないためかかりません” -この部分を聞いただけで切ってしまったそうです。かなり怯えていた女性は、電話会社に電話して通信記録も調べてもらいました。その結果、確かに呼び出し音が鳴り始めてから二十秒後にメッセージが入り、すぐに切られていることが分かりました。やはり、ご主人の言ったとおりだったのです。
しかし、彼は一言もしゃべらず電話を切り、後には、私の声が入っていたのです。説明は、全くつきません。もう一度確かめたくても、女性がその携帯を処分してしまったので、手の打ちようがありません。私は、自分が過去に発した声を耳にしたのでしょうか?それとも―未来の声を?
「もしもし、どうしたんですか!?」
この答えは、いつか見つかるのでしょうか?


D的日記  ⑫-2006年4月號
菊地秀行

各位朋友,大家好。
關於D的真人版電影,在此感謝諸位提供的許多意見。
斟酌電影化之際的各項條件後,目前尚未簽約。電影化的授權期是兩年,第一次的期限於去年九月到期,如今正在考量第二次的兩年之期。
我非常瞭解諸位的不安。以人類的標準而言,任何美男子均望塵莫及的D,究竟有哪位肉身演員足以詮釋?
這對日本D迷亦是一項大難題,我曾在脫口秀上徵詢大家的意見,幾乎所有D迷都反對真人版電影。大家均認為,既然沒有演員能夠詮釋D,還是卡通版比較好。
然而,原作者的我卻對卡通十分棘手。
電影當然要真人版――這或許是少年時代的經驗所致。我小時候看的電影幾乎都是真人版。當時的卡通只有短篇,而且皆是漫畫改編。長大之後,終於出現長篇卡通,但我還是比較喜歡真人版。迄今多次接到D的卡通化要求,卻只有實現兩次,也是基於上述原因。
老實說,我覺得扮演D的人不是非得要美男子不可。一旦敲定演員,電影拍成之後,只要演員的表現沒有破壞D在原作中的特色,觀眾自然不會有怨言。換一個不好的說法――我已經放棄了。而且一部電影並非光靠男主角的臉孔,而是整體結果的呈現。就這層意義來說,我反而希望可以選擇導演、攝影、燈光、剪接、音樂等等的工作人員。
去年冬季,與真人版的製片(法國人)會面時,我再三叮囑對方D的性格,他亦表示理解(但電影化的結果如何仍是未知數)。而我亦打算以原作者的身分對故事內容發表意見。
電影這種藝術,到完成為止都無法預測結果如何,但我希望能夠盡力重現D的世界氛圍,而不是好萊塢大製作常有的那種――只有誇張的CG特效,毫無劇情張力的作品。不過,一旦開始拍攝,情況亦無法全然掌控。總之,我想要製作一部不讓全球D迷失望的電影,也希望獲得各位的支持。製片不是美國人這件事,也頗令人期待的吧。
話說回來,上個月二十五日起,「雨之村」於東京公開上映了。
脫口秀的隔日,我參加電影首映,然後直接趕回老家――因此感到有些疲憊。
除了製作費不高以外(約等於日本兩個小時的電視連續劇),電影本身拍得相當好。儘管跟我的原作截然不同,但那亦是無可奈何之事。要將僅僅三十張稿紙的原作拍成九十分鐘的長篇電影,也只能作成不同的「作品」了。
話雖如此,電影跟原作使用相同的題目,但原作中的雨之村卻只在電影開頭驚鴻一瞥,也著實令人傻眼。
若要簡單介紹,原作是講述旅行中的學生在滂沱大雨中造訪一座鄉下村莊,親眼目睹在傾盆大雨裡無法回家而哭鬧的小孩,以及將他們帶離的流氓男子們,最後從當地居民口中得知真相――數十年前失蹤的孩子們,返回村莊掀起駭人聽聞的事件。故事從雨開始,由雨結束。只希望觀眾不會因為題目與內容不符而生氣。
不知台灣是否會上映,但或許會推出錄影帶或DVD。順道一提,電影片尾曲是由舍弟作曲,他在最後也以背影姿態登場。
另外,電影開始十分鐘左右,主角所造訪的編輯部,那位似曾相識的臉孔究竟是誰呢?

D的日記  ⑫-2006年4月號
菊地秀行

皆さん、こんにちは。
Dの実写映画化について、たくさんのご意見を有難うございます。
目下、映画化に際しての諸条件を検討しているところで、まだ契約書にサインはしておりません。映画化に許可した期間は二年なのですが、最初の二年は昨年の九月で切れ、次の二年を検討中であります。
皆さんの不安は良く分かります。人間である限りどんな美しい男でも遠く及ばないDを、一体、生身の俳優の誰が演じるのか?
これは日本のファンにとっても大問題でして、一度、トークショーで意見を聞いたところ、ほとんどのファンが実写化に反対でした。みな、Dを演じる俳優がいないならアニメのほうがいい、と。
ところが、原作者の私が、アニメが駄目なのです。
映画はやはり実写―これは少年時代の体験のせいでしょう。幼い頃、私が見てきた映画のほとんど全ては実写でした。アニメは短編で、しかも漫画のアニメ化でしかありませんでした。後年に到り、長編アニメも製作されましたが、私はやはり実写のほうが好きでした。Dが何度となくアニメ化の申し込みを受けながら、二度しか実現していないのは、このためです。
正直申し上げると、Dの役は指して美男でなくてもいいと考えています。一度、俳優が決まり、映画になってしまえば、Dの役を原作の雰囲気を壊さず演じられる限り、観客は文句を言わないものです。悪い言い方をすると―諦めてしまいます。それに、映画は主人公の顔が全てではありません。できばえです。その意味で、私はむしろ監督やカメラマン、照明、編集、音楽等のスタッフの方たちに人を選んでもらいたいと思います。
去年の冬、実写版の製作者(フランス人です)と会ったとき、Dの性格についてしつこく念を押し、彼も了承してくれました(映画化に際してどうなるかは不明)。原作者としてストーリーにも口は出すつもりです。
映画というのは完成まで、その正体は不明なものですが、Dの世界の雰囲気を出来得る限り再現したいと思います。よくあるハリウッド大作のような、派手なCGばかりが売りものでドラマ性はゼロ―こんな作品にはしません。ま、これも製作に入ったら分かりませんが。とにかく世界中のDファンを失望させない映画にするつもりです。出来れば応援を願います。製作者がアメリカ人ではないというのも、期待できるでしょう。
さて―先月の二十五日から、東京で「雨の町」が公開されました。
トークショーの翌日で、私は舞台挨拶に出席し、その足で実家へ買えるという強行軍―少し疲れました。
映画は制作費が安い―日本の二時間テレビドラマ1本分ぐらいです―のを除けばよく出来ています。私の原作とはまるで違いますが、そこは仕様がないでしょう。たかだか三十枚の原作を九十分の長編映画にするのは、別の“もの”にするしかありません。
しかし、原作と同じタイトルで、原作に出てくる雨の町が巻頭にしか出てこないのには参りました。
少しお話しておきますと、原作は、雨が降りしきる田舎町を訪ねた旅行中の学生が、土砂降りの中、自分の家へ入れず泣き叫ぶ子供たちと、それをどこかへ連れて行くやくざのような男たちを目撃し、ある家の住人から真相―何十年も前に行方不明になった子供たちが帰ってきて、恐ろしい事件を巻き起こす―を聞くというだけの話です。雨に始まり雨に終わる一篇。タイトルと中身が違うと怒り出す人がいなければいいのですが。
台湾で公開されるかどうかは分かりませんが、ビデオやDVDは出るかもしれません。ちなみに、エンディング・テーマは私の弟の作曲で、彼はラストに後ろ姿で登場しています。
そして、映画が始まってから約十分後、主人公が訪ねる編集部に、どこかで見た顔が―だーれだ?

■2005年5月~2006年3月舊有文章敬請到這邊觀看。
■2006年4月~2006年11月舊有文章敬請到這邊觀看。