今回もブラッドベリの話です。
現在では、SFファンや作家たちの間でも、彼の名前は聞かれなくなったと云います。確かに、ストーリー自体はそれほどユニークなものではなく、きらびやかな文体にこそ本領を発揮した作家ですから、年齢とともに小説から文体を支えるイメージが枯渇していったのは仕方がありません。
また小説としても、文学にまで達してはおらず、本格SFとしての科学的素養にも乏しいとなれば、新しい時代から遠ざかっていくのもやむをえないと云えるでしょう。
ですが、五十年近く前、黎明期の日本SFには、彼のような作家がどうしても必要でした。ブラッドベリはアメリカではなく、日本SFの健やかなる成長のために生まれてきたのではないかと私には思えます。ハインラインやアシモフのような作家だけでは、情緒過多を好む日本の読者には、どこかしっくり来ないものがあったに違いありませんし、あまりに文学に近づいても広範な読者の支持は得られず、日本SFは、どこかいびつな形のまま成年に達していたかもしれません。
ブラッドベリの、科学知識を必要とせず、詩のような文章文体がかもし出す”文学味”を備えた小説は、日本のSFファンに大喝采で迎えられました。雪に閉ざされたアメリカの田舎町に突然、ひと時の夏が訪れる。それは、近くの基地から打ち上げられたロケットの発射熱によるものだった―こんなイメージでSFを描く作家はブラッドベリ以外にいませんでした。今もおりません。彼によって筆をとった日本のSF作家は数多いはずです。私もその一人でした。